生協知っトク情報

2025/07/01

第18号 1970年大阪万博と「虹のまち」

 開幕からだいぶ経ったが、万博にはまだ行っていない。関連のニュースを読んではイメージをふくらませているところだ。そして、現在の大阪・関西万博もさることながら、1970年大阪万博にまつわる話が気になっている。今回の万博を機に70年万博をくわしく取り上げた記事や映像がいろいろと出ていて興味深い。自分が行っていないのでなおさら「夢のようにすてきな場所だったのだろうか」という想像がふくらむ。

 なので今、あちこちで出合う70年万博の情報に胸がときめいている。とくに心引かれたのは、ゴールデンウィーク中、大阪・なんばの地下街「なんばウォーク」で開催されたイベント、その名も「55年前にタイムスリップ!復刻・1970年 大阪万博&なんばウォーク」。なんばウォークの前身「ミナミ地下センター虹のまち」は、大阪万博開幕の9日前、70年3月6日に開業したそうで、万博と地下街の歴史、それぞれを振り返るパネルが幾枚も設置されていた。

 各パビリオンの画像を一覧できるパネルの前では、60代くらいのご夫婦らしき2人が「このパビリオン見覚えある!」「当時、この子みたいなワンピース着てたなあ」などと指を差しながら談笑していた。首からぶら下げた一眼レフで写真を接写する高齢女性もいた。「大阪万博には何回行ったか分からない。万博のアルバムは何冊も作ってうちに置いている」と、誇らしげな口調で教えてくれた。パネルの中にアルバムにない写真があったため、撮っていたのだという。今年88歳というその女性の熱意に圧倒された。

 さらに驚いたことがあった。現在、227店あるなんばウォークの中で、「虹のまち」開業時から続くお店は、なんと30店以上もあるというのだ。たしかに全国チェーンの飲食店や衣料品店がある一方で、レトロな雰囲気の地元らしさ漂うお店もちらほら目につく。バブルもコロナも乗り越えて、大阪の真ん中で半世紀以上も営業を続けてきたお店に敬意を表したい。

 大阪人なら知っている老舗カフェ「心斎橋ミツヤ」もそのうちの1店。同店の小儀俊光会長(82)にお話を聞くことができた。小儀さんは70年当時、同店の開発室長として虹のまち出店に携わった経験をお持ちだ。

―30店以上ものお店が55年も続いているのは、どのような理由があるのでしょう。

小儀さん うちの場合はだいたい10年に1回はお店をリニューアルしています。その際、店の内装を時代に合うように気をつけています。改装して雰囲気が変わるとお客さんの年代も変化するなど反応があります。それと商品も流行りがある。世の中の変化を見極めながら新しいメニューを考えています。今も残っているお店は同じようにいろいろ更新して、時代に適応してきたのかなと思います。
 一方で、メニューはオープン以来変えていないものもあります。熱々の鉄板に溶き卵を入れた、昔ながらのスパゲッティ「鉄板ナポリタン」。今も人気のロングセラーです。長年愛してくださったお客さんに変わらぬものを提供して喜んでもらいたいという思いがあります。今はタブレットなどを使ったオンラインのオーダーが増えてきましたが、なんばウォーク店ではこれまで通り、スタッフが注文をお伺いしています。ただ本店はオンライン制を導入しています。店舗によってどういうシステムが良いか判断しています。

―「虹のまち」開業時の思い出を教えてください。

小儀さん 出店にあたり、先代が「独自の雰囲気を出したい」と希望したため、店内壁面にオリジナルのタイルを貼ることになりました。土岐(岐阜県土岐市)の陶器屋さんにタイルを焼いてもらったのですが、人手が足りず、オープンまでに最終工程が間に合わないとの連絡を受けたので、私を含め3人が急きょ土岐まで行って色つけの手伝いをした。車で片道2時間半くらい。真夜中になった帰り、検問で学生運動のメンバーと疑われて警察に調べられました。結果的にはタイルは開業までに完成したので良かったのですが。タイルと同時に店内にはめたステンドグラスは、現在も店内に入って右側にそのままあります。

―イベントのパネルによると、「虹のまち」のころ、今はない仕掛けもあったとか。

小儀さん 小鳥がいました。日本橋側の広場に天井まである大きな鳥小屋があったんです。植え込みも作って森のようにして、中でインコなどをたくさん飼っていた。それと、虹のまちということで、本当の虹を見てもらっていた。2000本のノズルで水を出して人工の虹を作っていたのです。買い物だけでなく、来るだけで楽しい場所にしたいという思いで、いろいろと斬新なことをやっていました。

―1970年大阪万博で印象に残っていることは。

小儀さん レストランです。アメリカ館だったと思いますが、バイキング形式の大きなレストランがあって。メイン料理が複数あって、好きなものを好きなだけチョイスして支払いをしてテーブルで食事をするスタイルです。そういったお店は初めてだったので驚きました。キッチンとお客さんとの関係が効率良く構成されている上に、非常に清潔で。飲食業界に身を置く者として大きな刺激を受けました。
 大阪万博には何回か行きましたが、今の万博と同じで混雑してなかなか思うようにパビリオンを回ることはできませんでした。違う点は、車で行って駐車場を使えたことでしょうか。アメリカ館やソ連館で見た宇宙に関する展示、本物の人工衛星などを鮮烈に覚えています。人類はこれから宇宙に出て行くという期待感があってワクワクしました。高度経済成長期で大阪も活気にあふれていた中での、東洋で初めての万博。日本人みんなの夢が集まっていました。

 小儀さんのお話で、70年万博当時の風景が浮かんできた。万博は時代の最先端を切り取ったカタログのようなものかもしれない。半世紀前の最先端はやがて当たり前になり、「レトロ」になっていた。だが、レトロという言葉は単に「古い」というだけではない。良いものが時代に合わせて更新され、親しまれ続けているという意味も持つ。開催中の大阪・関西万博も時代とリンクしながら、今を生きる人々の心に大切な思い出として刻まれるだろう。今回の万博で提案された最先端が、やがて当たり前になっていく様子をぜひこの目で見てみたいものである。

(文・青木理子)

2025/04/01

第17号 楽しみ方あれこれ 展覧会最前線

 展覧会を紹介する原稿を時々書いている。会期が始まる前日に開かれる内覧会に参加し、学芸員の方のレクチャーを聞き、展示内容を見て、資料を確認しながらまとめる。展示品についての文章をあれこれ考えるのは楽しい。とはいえ展覧会は、好きな人はたびたび足を運ぶものだが、まるで興味がない層もいる。修学旅行以来、美術館に行っていないという知人に言わせると、「黙って絵を眺めるのが苦痛」「敷居が高くて行く気にならない」のだそうだ。

 だが最近の美術館は、そのような人々にも足を向けさせるべく、いろいろと仕掛けを用意している。以下、いくつか挙げてみる。
1、タレント
 音声ガイド(音声による作品解説サービス)の声や展覧会アンバサダーとして人気タレントを起用。タレントの声や、等身大パネルなど会場に設置されたビジュアル目当てに、ファンがライブ感覚でやってくる。
2、グッズ
 名画をモチーフにしたお菓子や文房具、Tシャツ、トートバッグなど、併設のミュージアムショップにずらりと並ぶ。観覧料以上の額をショップで費やす人も多い。
3、コラボ展開
 「作品をイメージした」という見目麗しいランチやデザートをミュージアム内または近隣レストランで提供。ホテル宿泊とコラボしているケースも。入場券が付いている(もしくは割引)ことも。
4、撮影OK
 かつては美術館の展示品はほとんどが撮影禁止だった。今は大抵の展覧会で「撮影OK」の表示が付いた展示品がある。「撮影してSNSにあげてほしい」とはっきり明記されている場合も。「オール撮影OK」すらある。そのような展覧会では、皆がスマホを持って1点ずつ撮影しているので、鑑賞というよりも撮影会の様相だ。

 上記の中でもとくにPR効果が高いと感じるのは「4」だ。展覧会に限らず、何か行動を起こす際、事前にSNSで調べるのは一般的なことになった。テレビや新聞などの“オールドメディア”よりもSNS情報を重要視している人が増えたためか、最近の内覧会にはインフルエンサーと呼ばれる人たちも参加している。時代は変わった。

 一方、展示そのものが目新しい場合もある。一例を挙げると昨秋、大阪中之島美術館(大阪市北区)で開かれた「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」。TRIOというタイトル通り、作者も年代も異なる3作品をセットにして展示していたのが特徴的だった。たとえば「夢と幻影」と題した3点は、作者がシャガールとダリ、そして三岸好太郎。ウサギとロバが合わさったような架空の動物、不気味で巨大な雲、雲の上で飛ぶ蝶の群れと、一見バラバラの主題が描かれているのだが、絵の前に立って見比べているうち、3作品に言葉では説明しがたい共通性を感じるではないか。展示形式に鑑賞のヒントを与えられた。そんな経験は初めてだった。

 年始に見た展覧会「モネ&フレンズ・アライブ」(神戸市中央区のKIITOホール)は、方向性は異なるものの、斬新だった。展覧会といっても静寂の空間に作品が並ぶ会場ではない。モネやルノワール、セザンヌなどの有名な印象派絵画が映像化され、次々にスクリーンや床に映し出されるという趣向。映像に合わせ、誰もが知るクラシック曲が大音量で流れ、時にはほのかに香りまで漂う。絵がスクリーン用に拡大されているので、印象派らしい大胆な筆遣いもはっきり見える。そこには、「音楽や香りの力も借りて、拡大画像の印象派絵画をどうぞ隅々まで味わって!」という、大いなるサービス精神があった。ちなみにこのような展覧会は世界的にも人気なのだそうだ。

 展覧会を楽しむ間口が広がってきたことについて、美術ライターの池本新子さんは「アイドルやグッズなどを入り口として、これまで展覧会に縁がなかった人もアートに触れるチャンスが増えた。すばらしいこと」と評価。「本物を間近で見ることによって、美術に開眼する可能性がある」と期待を寄せる。

 最後になったが、関西に住む皆さんに直近の展覧会情報をお伝えしたい。ご存知の方も多いと思うが、この4月から6月にかけて、教科書に登場するような国宝を含む名品ぞろいの展覧会が京都、奈良、大阪で開催される。京都国立博物館「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」(4月19日~6月15日)、奈良国立博物館「超 国宝―祈りのかがやき―」(同)、大阪市立美術館「日本国宝展」(4月26日~6月15日)の3展覧会で、うち京都国立博物館と大阪市立美術館は「大阪・関西万博開催記念」と銘打ったもの。インバウンドを主なターゲットにした企画なのかもしれないが、われわれ関西人にとって好機である。これほど多くの国宝が集中するタイミングは、東京以外ではまずあり得ないから。なんと、大阪市立美術館には金印「漢委奴国王」もやってくるそうだ(展示期間は5月7日まで)。めったにない機会、時間を作って各館に足を運んでみてはいかがだろう。

(文・青木理子)

2025/01/06

第16号 空き家の持ち主になったら

 不用品の整理をする目的で、ここ2年ほど頻繁に実家に帰っている。先日、片付けの合間に近所を歩いていたら、目と鼻の先にある一軒家が伸びきった草木で覆われているのに気付いた。子どもの頃、「立派なお屋敷だなあ」とあこがれていた家だ。奥さんはお花の先生をしていて、今もその看板は残っている。だが母によると、奥さんが亡くなり、空き家になったらしい。母は奥さんと交流があったので、屋敷の周辺の草むしりをしているといい、「でも敷地内には入れないから、庭はジャングルみたいになって…」とため息をついていた。
 今はどこを歩いていても、そんな家を見る。なかには「ここのお隣さん、たいへんだなあ」と心配になるほど荒れた様子の建物もある。だが決して他人事ではなく、「空き家をどうするか」は、ほぼすべての人にとって無関係ではいられない問題だ。今回は、空き家問題にくわしい京都女子大学家政学部生活造形学科の井上えり子教授(住宅計画)にお話をうかがった。


 総務省が2024年4月に発表した住宅・土地統計調査によると、国内の住宅総数に占める空き家の割合は過去最高の13.8%。前回調査の2018年から0.2%上昇した。空き家の数も900万戸と過去最高に。空き家が増え続ける背景には、人口減少、少子高齢化があるが、井上教授は「人口が密集する都市の空き家は、異なる問題をはらんでいる」と指摘する。

―井上先生は、京都市空き家対策検討委員会の座長をはじめ、大阪府高槻市や枚方市などの空き家対策協議会委員もお務めです。都市部が抱える空き家問題の現状について教えてください。

井上教授 都市の空き家の特徴は、そこに住みたいと思い、家を買いたい・借りたい人はいるが、建物の所有者が手放さないので空き家のままというケースが多いです。私が空き家対策活動に取り組んでいる京都市東山区六原学区も、住みたい人はたくさんいますが、入居できる物件は少ないです。

―なぜ放置される空き家が多いのでしょうか。

井上教授 ひと言で言うと「所有者が無自覚だから」です。そもそも一般庶民が家を所有し始めたのは、国が「持ち家政策」を始めた戦後のこと。戦前だと家を持っている人は大都市で2割くらい、8割は長屋など賃貸住宅に住んでいました。長屋の住人は住宅の維持管理について考える必要はなかった。また多くの人にとって、教育課程の中で、家の維持管理について教わり、学ぶ機会はありませんでした。そんな中で家を所有し、責任を感じないままに放置しているのだと思います。分譲マンションの場合だと区分所有法があり、維持管理のために積立金が必要となりますが、戸建ては法律がなく、所有者に任されています。

―日本の住宅史も影響しているのですね。先生はどのように空き家対策活動を始められたのでしょうか。

井上教授 活動を始めたのは18年くらい前です。所有者にアンケートを行った上で、空き家を活用してもらえませんかと呼び掛けました。でも、売るにしろ賃貸に出すにしろ、先祖代々住んでいたとか、自分が育ったとか、それぞれ家への思い入れがあり、難しかった。また、人に貸すということは賃貸事業の事業者になるということなので、高齢の方が多い所有者にとって、そこも1つのハードルになっています。「それではせめて適切に維持管理しませんか」との提案を込めてスタートしたのが、2015年から学生とともに行っている「空き家見守りボランティア」です。

―メンバーは、井上先生のゼミの学生さんたちでしょうか。

井上教授 はい。鍵を預かり、学生が空き家の換気、庭木の簡単な剪定、建物にゆがみや雨漏りがないかのチェックなどを月1回行っています。何かあったら都度所有者に連絡するほか、気付いた点を写真付きの報告書にまとめて郵送しています。

―換気からゆがみチェックまで。こまやかな対応に所有者の方は喜ばれているのではないでしょうか。

井上教授 換気は大切です。湿気が一番住宅の寿命を縮めます。それともう1つ重要なポイントは、私たちが所有者とつながっている、連絡を取り合える関係になっているということです。学生が見守りに行った時、隣家の人から「庭木がはみ出ている」と指摘されることがある。間に学生が入ると、直接は言いづらいこともスムーズに所有者に伝えることができると感じてもらえているようです。私たちの介在は、トラブル回避のクッションにもなっています。

―たしかに近隣の方とのやりとりは非常に気を遣いますね。

井上教授 ご近所との関係性は空き家問題に大きく関わってきます。空き家があると建物倒壊や不法投棄の恐れ、周囲の景観・治安の悪化、害虫が発生する可能性などご近所への悪影響が出てきますし、地価にも影響します。空き家一戸の問題ではなく、地域全体の問題なので、所有者とご近所はつながった関係であるのが望ましい。心理的な意味でも、月に1度、お仏壇を参りに所有者が空き家に戻ってくるだけでも、ご近所に安心感が生まれます。

―ご近所に対して、空き家を放置していないというメッセージを送ることが大切なのですね。

井上教授 そうですね。自分だけの家という考えでなく、地域の中の1つの家であるという感覚を持つこと、その姿勢をご近所に伝えることはとても重要です。そして、私たちが見守り活動を続けるうち、所有者ご自身の意識が高まってきて「屋根の修繕が必要だから活用しようかな」と言ってきてくださったこともありました。

―すばらしいですね。

井上教授 空き家になった瞬間から、その状態がずっと続くとイメージされがちなのですが、空き家になると家は一気に傷んでいきます。その傷んでいく状況をちゃんと伝えていかなければと思っています。空き家は維持管理しなければならず、そしてできれば活用した方がいいということを多くの人に知ってもらいたいです。

―今後も空き家は増え続けていくと予測されています。少しでも空き家を少なくするために、これから私たちにできることはあるでしょうか。

井上教授 そもそも家は所有する方が良いのか、考えてみてはどうでしょう。国が住宅ローン減税などの政策を行い、私たちは持ち家の方がなんとなく得のように思い込んでしまっていますが、維持管理をするのはたいへんです。賃貸の方が気楽で便利かもしれません。ただ、今、市場に出ている賃貸物件は、最終的に持ち家を目指すまでのワンステップ的な住まいになっていて、ずっと住み続けたいと思うような賃貸住宅はなかなかありません。魅力的な賃貸が増えたら、そこに住む人も増え、難しい維持管理はプロに任せるという理想的な状況になるのではないでしょうか。最近、若い人の間では、車も墓も持たなくて良いという風潮がある。住宅事情も変わるチャンスだと思います。ただ、賃貸だと高齢になった時に家賃を払えるのかという不安がつきまといます。たとえば高齢者になったら家賃を減額するなど、新しい契約形式を含めて賃貸事業者に考えてもらえたら。持ち家であっても維持管理にお金が掛かるので、持ち家・借家に関係なく、ある程度の負担は高齢者になっても必要です。その負担をどう減らすかというシステムを構築できたら良いと思います。


 住むにしろ、住まないにしろ、家を持つならお手入れと近所づきあいは欠かせないということだろう。

(文・青木理子)

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